私は熊本という自然豊かな土地で生まれ育ちました。
20代の頃までは「熊本って何もない。」「田舎」「1番になかなかなれない。」
そんなふうに思っていました。
それが一旦、熊本を離れてみると
熊本の風の匂い、空の広さ、美味しい水や野菜や果物。
そして、人情深くてあったかい人たち。
当たり前だと思っていたことこそが
とっても豊かで恵まれていたことだったんだなー。
その当たり前の中で育まれた自分がいるということに気がつきました。
それでもやっぱり、ついついマイナスについつい目をやりがちで、
「いいなああの人は。」
「どうして私はできないんだろう。」
「どうせ自分なんて」
「もっともっと頑張らなくちゃ!」
と、自分の中のあるものには目を向けずに、
足りないもの、隣の青い芝生をみてはいつも指をくわえて羨ましがっていました。
そんなある日、大怪我をして仕事に行けなくなりました。
松葉杖や車椅子ひとつろくに扱えず、
「普通に立って、歩いて、座ってってできるってありがたいことだったんだ!」
と、感じたことを鮮烈に覚えています。
更に運命の歯車は想定外の方向へと回り始めます。
怪我をして5ヶ月後、やっと元の生活を取り戻しつつあると思った頃、
突然大病を発症し入院・手術。その後数年間で更に別の入院・手術。
両親には本当に心配をかけ申し訳ないなぁ。
と、思っていたのですが、二人はただただ
「あなたが生きてくれていてよかった」
「できるなら私が変わってあげたい」と、寄り添ってくれました。
これまで何か期待に応えなきゃ。と思っていた私の概念を丸ごと包んで溶かしてくれました。
そして時は過ぎ、人並みに結婚もして、子どもを望むようになった頃、
私のところにも赤ちゃんが宿ってくれました。
とってもとっても楽しみにしていたのですが、
残念なことに妊娠の途中で天に還ってしまったのです。
これまで何度も両親に生きるか死ぬかの心配をかけてきた私が、
今度は反対の立場。
我が子がいなくなってしまった。という、悲しみ、絶望、不安、恐れが容赦無く襲いかかります。
自分のことよりも我が子のことを想う親心というものが、ほんの少し分かりました。
「子どもの命」を通して、
”子どもって生きているだけで幸せ”
というシンプルな信念が私の中に湧き上がります。
そして色んな想定外の出来事に出会うたびに
起こることに対して、どういう心のあり方でいるかってすごく重要!
どっちに心を置くかで、自分を不幸にもできるし、幸せにもできる。
だったら、幸せにひっくり返せる心を作ることが必要だ!!と思うようになりました。
だって、私たちは幸せになるために生まれてきているのだから。
そのためにはまず、
「私のままでいて大丈夫」
そう心の底から思えることこそが大事なんじゃないかと。
かつては頭で分かっていても、なかなか心から思えなかった私ですが
今では病気や流産を経て離婚しても
私でいていいんだ。と、やっと心の底から思えるようになりました。
自分の思い描く自分になることを諦めて
不完全な自分を受け入れられるようになったからです。
その執着を手放せば手放すほど
沢山の応援や助けの手が差し伸べられ、
心は自由に、沢山の幸せを受け取れるようになりました。
だからこそ未来を担う子どもたちには
不安に囚われず
自分の中の正しさに囚われず
完璧を求めず
ありのままの自分で喜びに満ち溢れる大人になって欲しい。
子どもの中のあるものに目を向け、
「あなたのままでいて大丈夫だよ」という場作りをすることで
子どもの育つ力を引き出し、想定外を面白がれる心を育んでいきます。
何度も命をもらって
両親をはじめ沢山の人に手を差し伸べてもらったおかげで
今の自分があるから。
不完全な自分だからこそ、今、素晴らしい仲間たちがここにいる。
ココロネスタッフや関わってくださる皆さんと共に
子どもたちの未来のために
生まれ育った熊本という土地に恩返ししていければと思います。
そして最後に自分という個性とその在り方を記した魂の羅針盤
"パーソナルクレド"
色んな選択をする時、ハードルが立ちはだかった時に立ち返る軸にしています。
私は不安に囚われない
自分の中の正しさに囚われない
完璧であることを求めない
ありのままの自分を認め、愛し、
喜ばせることで命を輝かせる。
ただ在るだけていい。
この命そのものが
虹色の翼となって
多様な個性と共鳴し、
周りを勇気付ける。
そこに正解も不正解もない。
どんな出来事も
命が輝くプロセスだということを
私は知っている。
誰もが本来の命の輝きを取り戻す力があるということに
信頼と自信を持ち、自由に形を変化していくことができる。
ある時は遠くに身を運び
ある時は包み込む。
喜びのエネルギーで魔のエネルギーから身を守る。
私は戦わない。
必要な時には風を起こし、
本来の自分に還る波に、自ら乗れるよう背中を押していく。
そしてありのままの自分で喜びに満ち溢れ、
誰にも支配されず
自由に世界を羽ばたいていく。
それがこの時代に生まれた私の責任。